中村 宣裕

コミュニケーション統括部長
中村 宣裕 / Nakamura Takahiro

まずは人や町の空気感や距離感、時感(時間帯)を感じようか。

そこには必ず、コミュニケーションがある。

土地や建物という点でしか気付かなかったところを線や面として捉えてもらい、
その直感や新しい気づきを感じて欲しく、
何かを「築いた人」より、何かを「気づいた人」の方が幸せです。

その中で私たちと回り、イマを感じてもらい、対話することで、
何に、そしてどこに肌が合うと感じるか。

その共感が積み重なって行けば行くほど、
人間関係が深くなって行く。

何らかの接点を持つ人と出会う確率は 全世界の24万分の1
同じ学校や職場、近所の人と出会う確率は 240万分の1
親しく会話を持つ人と出会う確率は 2千400万分の1
友人と呼べる人と出会う確率は 2億4000万分の1
親友と呼べる人と出会う確率は 24億分の1

だから、ここであなたと出会う確率はさらにさらに奇跡です。

こうやって限られた時間の中で出会える人の数は、
出会えない人の数よりずっと少ない。
だから、出会った人をどれだけ大事にし
コミュニケーションしていけるか。

人間関係はコミュニケーションの蓄積であり、
お酒と音楽と文化と衣・食と不動産においても重要なコトなのです。

コミュニケーション統括部長ならではの真髄。

そんな中村が意識している事。
・遊ぶように楽しく仕事をして、仕事をするように真剣に遊ぶ。
・just say yes.「できない」ではなく、「できる方法を探す」
まずは否定ではなく肯定からはいってみる。
・「あれかこれか」という「or」の形ではなく、「あれもこれも」の「&」という形で見方を考えていく。
・難しいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことをおもしろく、
おもしろいことをまじめに、まじめなことを愉快に、そして愉快なことはあくまで愉快に。

そして、中村って、
人を嫌いになる事がなく、ストレスを感じないんです。
もともと生まれ持った性格は変えられませんが、
モノの見方、価値観は変えられる。
少し考え方を変えれば、周りは幸せに、そして豊かになるんじゃないか。

これを意識できるのは、やはり生活が大事。
ゆっくりと時間が流れる葉山町での生活と、好きな仕事を追求する事。
それはまさに『Slow Life』と、『Fast Life』の両立をより近い場所にて現実のものとし、
毎日の生活において、この相反する二つの欲求を満たすことで、
右脳[感覚・感性]と左脳[論理的な思考]が様々な形で刺激しあい、
良いレベルでいろんなことに取り組めるかなと。

私が住んでいる葉山は
海は前向きさを与えてくれ、山は自分を見つめさせてくれる。
だから住まいに選んでいる地。
何か目標やこれからの未来を考える事があるときは海へ行き、
少し自分を見つめ直したり、考え事をするときは山へ行く。
もちろん、たまに都内にも出かけて刺激を受ける。
その全てが近い距離にあるのがこの逗子・葉山である。

だからこの今の思いを通して、
代表の原とともに一緒に体験する関係を作って行きたい。
その先には必ずキラキラした皆さんの表情がある。
そして何も言わなくても
コミュニケーションしている事でしょう。

そんなことを言っている、中村のプロフィール

1986年2月15日生まれ
36年に1度の強い年と言われる、
五黄の寅年うまれ。
そして、五黄の寅年の母を持つ。

中村家の三男坊として、北海道札幌市で産声をあげ、
北の大地生まれの寒さに対しての強さを持つ。
しかし、すぐに親の転勤で大阪へ。
場所は阪急線沿いの岡町。商店街がいい雰囲気で、伊丹空港の近く。
幼稚園年少まで過ごすが、さすがに記憶としてはあまりないが、家族と地域の方に育てられ、
年中から小学校1年生までは横浜市のあざみ野剣山へ引っ越し。
兄たちが小学生・中学生だったので、遊びによく連れて行ってもらって
先輩や友人との距離感をこの時期で掴み初めてきた。
小学校2年生から札幌へ戻り、高校生までの青春時代を過ごした。

もう、兎にも角にも家に着いたらすぐ外に遊びに行き、
みんなが集まるところ(公園・友人宅)へは必ず足を運んで、
小学校中学校の人たちやそこに集まる他の大人たちなどとも良かれ悪かれつるんだ。
社交性が出て来たのはこの頃。
モテ期も何度か味わった。社交性って大事なのかな。

そんな外で遊び呆けていても、小学生の時の家にいる時間は甘いコーヒー牛乳を作っては、
”ホームアローン2”をソファで見るのが日課。
この頃からコーヒー中毒になっているのは間違いない。

中学生の時もほぼ家にいなかったかな。
外遊びが好きなんだなと。

中学生は部活動にも専念した。
そう、バスケットボール。1年生の時は4番という背番号をもらったが、
遊びも楽しんでしまったため、卒業時は9番だった。
もっと頑張ればよかったけど、遊びを頑張ったからいい。
身長が20センチ伸びて、成長痛(乳首・ひざ)が痛かったのを覚えている。
バスケ部の監督からもらった最後の寄せがきには、「背の延びた、頑張った」と書いてあった。
誤字、そして身長のことだけだった。

高校は東海大学第四高等学校。
札幌の私立では有名なんじゃないかな。
ただしスポーツで。
部活は硬式テニス。そこまでうまくないが、副部長を任され、責任というものを摑んだ。
学校が楽しすぎたのか、無遅刻無欠席無早退で皆勤賞。

進路相談時に世の中に見えてるものってなんだろうなって思ったときに、
何が見えてたというと、暮らしの中に必ず建物があった。
建築やリノベーション、不動産って消えない仕事だなと考えた。
文章3行で”工学部建築学科”に行きたい旨を書いただけで入学。

大学は海からは原付で30分弱はかかるかなと言われる東海大学湘南キャンパス。
湘南という響きが札幌から出てきた高校生には憧れだった。でも海は遠かった。

150人規模の硬式テニスサークルの会長を任され、
朝練などもあるサークルで、5分前行動の5分前行動をしなければいけない
部活動みたいなサークル。
年中テニスと、建築模型作りと、遊びに明け暮れた。

今までの経緯などもあり、就職活動もすんなり。
真っ当に三井という名の財閥系を選んで、サラリーマンのスタートを切った。
でも9年在籍して8回ぐらい異動した(いい意味で)。

”人の三井”だということは認識しており、
新規部署や新規事業への配属が多く、人脈をどんどん広げた。
工事、営業、企画を経験し、
最後は入社した会社として初めてのグループ会社への出向を命じられた。
それは住まいと暮らしのワンストップサービスのコンシェルジュ部署。
そう、この出向時に不動産を学んでしまったのだ。

大手の不動産会社を経験し、葉山へも住処を移したのがこのタイミング。
そこからは不動産仲介業を通じてリノベの提案をできるようになる。
リノベーションは物件がないと始まらないのだが、
そこに不動産仲介が入ると、もっと前から、お客様に思いを込められることにやりがいを感じた。
だから“今”がめちゃめちゃ楽しい。

そう、ここに来るまでなんという風の吹きまわしだろうか。
ご縁とタイミングで生きているのを常に実感している。

尊敬する人は、母。
実は小学校の時に父を病気で亡くしている。
それでも三男をこんなに自由に育ててくれたことに感謝。

趣味・特技は、コミュニティに入っていくこと。
幼少期から変わらない。

ニックネームは葉山・逗子界隈ではナカちゃん
その他ナカムーや、中村君かな。
Instagram:
https://www.instagram.com/takahi_ro.nakamu_ra/
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