光のモラル

(ある坂道の、静かな休息)

坂を登っていくとき、背中のシャツが汗を吸った。
春の終わりにしては、よく晴れた午後だった。
自転車を押しながら歩くなんて、らしくもない。
けどその家には、そうするだけの価値があると誰かが言った。信じたわけじゃない。けど確かめてみたくなることもある。

家は逗子駅から5,6分歩いた高台にあった。車は入らない。
つまり、来る人間を選ぶ家だ。悪くない。

黒い木製の玄関を開けると、土間打ちされた床が鈍い光で出迎えた。
玄関前の広いデッキに出るには、ズッシリとした大きな木製サッシを開放する。
中に仕掛けられたロックは、ドアを守るというより、なにかを閉じ込めておくためにあるようだった。
外と中の隔たりを誘惑するような仕掛けだ。
こういうのを「上等な罠」って呼ぶこともある。

中に入ると、光があった。
ただの光じゃない。ささやかにルールを守って入ってくる光だった。
緑色と共にトップライトから落ちてくる光。遠慮がちに、けれど確信をもって。
無言で部屋の隅を照らし、そしてなにも言わずに消える。
夜に、時には星月夜の歓喜を待ちながら。

ロフトに上がれば、クイーンサイズのマットレス。
ひとりでもいいし、ふたりでも悪くない。
問題は、その「ふたり目」が誰かってことだ。
名前を思い浮かべるのは簡単だが、実際にその顔がそこにあるかどうかは別の話だ。
もちろん一人きりの格別を忘れたわけじゃない。

外を見ると、苔のついた擁壁が見える。
窓はそれを切り取っている。フレームの中に閉じ込めた風景。
まるで誰かが忘れられなかった記憶みたいに、じっとそこにある。
そういうものには、名前がない。かと言って、なくし方もわからない。

バスルームは、ぼんやりと明るい。
シャワーは頭上からまっすぐ落ちてくる。
水圧が強ければ、しばらくすべてを忘れられるかもしれない。
それも、ひとつの方法だ。いいやり方じゃないが、効くときはある。

薪ストーブは、使われていないのに生きている気配がした。
どこかの夜に、きっと火がつく。そのとき誰がここにいるかは、知らない。
でも、それこそが大事なんだ。

玄関の外にはデッキがある。
座ってコーヒーを飲めば、風が何も言わずに通り過ぎていく。
静かだった。あまりにも静かで、何かを思い出すにはちょうどよすぎる場所だった。

この家には、選ばれたものしかない。
足りないものも、多すぎるものもない。
あるのは、光。影。そして、それらの間にある、どうしようもない沈黙だ。
まるで夢の断片のように佇む空間。

それを「モラル」と呼ぶのか、「設計」と呼ぶのか。
そんなのは誰の問題でもない。ここにいる限り、決めるのは自分だ。

鍵を閉めて、ドアに背を向けた。
光が揺れた気がした。煙草を吸いたくなった。
でも、それだけの理由で火をつけるのは、この家に対して少しだけ失礼な気がした。
子供の頃から何度か夢に見た空気をもう少しで見つけられそうだった。

 

 

「細部についての純粋印象と感覚的干渉について」

1|扉
家は開かれている。しかし、その扉はすでに答えを知っているようだった。重厚な木製のサッシ。内側に仕込まれた機構は、ロックというよりも、問いを封じる構文。私はその扉の前で、一瞬、名を持たぬ言語の前に立ち尽くす。

2|庇
アイアン。庇。覆いながら、示す。機能が美へと滑り込むとき、それは〈鉄〉になる。庇の影は、光を否定するのではなく、光にかたちを与えていた。

3|光の文法
トップライト。間接照明。苔を切り取る窓。すべての光が意図されている。つまり、光とは自然現象ではなく、家が語るための語彙。家は光を使って、私に触れようとする——まるで一冊の本のように。

4|苔
窓の外には擁壁がある。擁壁には苔がある。苔は風景でなく、構造だ。なぜなら、窓枠がそれを切り取ったから。見えるものではなく、見せられるもの。それがこの家における自然の形式。

5|火
薪ストーブ。燃えるということは、家の内側で時間が可視化されるということ。火は記号の中で最も古く、最も原始的な言葉。炎が語るのは、熱ではなく、孤独の手ざわりだ。

6|シャワー
水が降る。天井から。それは潔癖ではなく、演出。オーバーヘッドシャワーという名の垂直性。頭上から来る快楽には、いつも抗えない力がある。それは支配であり、恩寵である。

7|窓の湯
バスルームには大きな窓がある。外を見るための窓ではない。湯気に曇ることで、世界と自己の境界を揺らすための装置。見るのではなく、溶け合う。

8|ロフト
ロフトという名の隠喩。クイーンサイズのマットレスがぴたりと収まる、完璧な余白。身体の輪郭が、空間の形に溶けていく。眠りとは、建築に委ねることで可能になる、最も静かな肯定。

9|名指されぬ家
この家には名がない。事務所か、セカンドハウスか。自宅か、遁走のための部屋か。名前を与えることは、分類することであり、分類は解釈の死を招く。だからこの家は、ただ「ある」。

10|美意識の配列
設計者の姿は見えない。しかし、その影はある。細部に。高さに。沈黙に。美とは見えるものではなく、配列された〈間〉に生まれる。美はこの家を通じて、声なき言語として語りかけてくる。

11|意味の空白
意味があるようで、ない。ないようで、過剰にある。箸の使い方に感じた〈空白の技術〉が、この家にもある。あらゆる意図が、過度に明らかにされることなく、空白の中に浮かんでいる。

12|光のモラル
この家において、光は倫理である。どのように照らすか。どこまでを暗く保つか。配置される光には、欲望でも快楽でもなく、モラルがある。それは、沈黙する美しさへの忠誠である。

夏涼しく、冬暖かく

Halasho.

 

物件種別 中古戸建
価格 3000万円
所在 逗子市山の根2丁目
交通 JR横須賀線『逗子』駅 徒歩6分
土地面積 89.25㎡
土地面積(坪) 26.99坪
建物面積 28.05㎡
建ぺい率 50%
容積率 100%
土地権利 所有権
地目 宅地
建物構造 木造杉皮葺平家建
現況 空家
築年月 不詳 増改築年月日:令和6年9月竣工
施設 公営水道, 本下水, 個別プロパンガス
間取り ワンルーム+ロフト
都市計画 市街化区域
用途地域 第一種低層住居専用
法令制限 まちづくり条例, 宅地造成等規制区域, 景観法, 土砂災害警戒区域, 土砂災害特別警戒区域, 急傾斜地法, 文化財保護法
取引態様 仲介
引渡日 相談
備考 ・床面積のほか、ロフト10m²あり
・私道部分:面積211m²のうち持分5分の1
・私道は建築基準法上の道路ではありません。原則再建築不可
・改修設計施工 株式会社we
情報登録日 2025/04/05

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